「春期限定いちごタルト事件」を読み直したらやっぱり面白かった

札幌に行ったときに表紙を見かけてついつい衝動買してしまった「巴里マカロンの謎」がとんでもなく面白かった件について先日書いた。

pikaring.hatenablog.com

惜しむらくは、なにせ11年前の新作なので一作目の内容も覚えていないし、全然続刊が出る気配がないので全部売ってしまって手元に残っていないところ。
しかしそこは大人なので、一冊ずつ紙で買って取り戻していくことにした。

春期限定いちごタルト事件 (創元推理文庫)

春期限定いちごタルト事件 (創元推理文庫)

読み終わってうなった。これは、面白い……。
昔は書評を書くときはネタバレを恐れすぎてまったく筋を書かないことにしていたのだけど、そうするとのちのちになって自分がブログを読み返したときに全く内容を覚えていないことになりがちなので、今回はもう少しわかりやすいように書いてみる。
これまで15年続けてきたブログなので、15年後に読み直す公算が高いからね。

羊の着ぐるみ

智に働きすぎて角が立ってしまった小鳩くんは、高校デビューとともに「小市民」を目指すことに決めた、その序盤編。
とはいえ、隠そうとしても隠しきれない自尊心というか自負心で、周囲には漏れ漏れになってしまっているところが青臭くていい。

For your eyes only

しかしこの小説の真の主人公は小鳩常悟朗ではなく、高校生にして小学生のような小柄で小動物チックで甘いものが大好きな、一見いかにも人畜無害に見える女の子、小佐内ゆきなのだった。
第一章は人物紹介で、ここから本当の物語、短編の縦糸と横糸が紡ぎ出すひとつの大きな物語の幕開けとなる。
春季限定いちごタルトが楽しみすぎて「タルトタルトタルトー」と不思議な歌を歌う小佐内さんのかわいらしさと、静かに熾火のようにくすぶり続ける復讐心のギャップに萌える。

それにしてもこのラスト!!!
この本の紹介文には「コメディ・タッチのライトなミステリ」というけれど、いやいや全然そんなことないよ。
甘い糖衣に包まれた猛毒。
もしくは、ぼたもちに仕込まれた縫い針。
そんな類の凶器なんだよねこのシリーズは。

美術部に残された2枚の絵の謎を解く。
良かれと思って知恵を働かせてしまったせいで、謎の答えがもっと残酷な真実を解き明かしてしまう。
人が殺されるわけでもなんでもないのだけれど、人が心のなかで微かに持っていた期待や希望を、それがまったくの無意味だと知らしめることの残酷さのほうが、一般的に人がなかなか死なない現実に暮らしている自分たちにとっては、より深く刺さるのだった。

おいしいココアの作り方

この話はよく覚えている。なぜならココアの作り方をここで学んだから。
しかし個人的に、ココアは温めた牛乳では溶きにくい気がする。
ミルクパンを使うのならココアを煎りながら数滴ずつ水を加えてゴムベラで練るほうが早いし、ティースプーンとカップではうまく練られたことがない。

閑話休題
小佐内さんはどっちなんだろう。小鳩くんが「小市民」である方がいいのか、「初めて会ったときみたい」の方がいいのか。
本当は小鳩くんが心配しなきゃいけないことなんだけど、こっちが気になって仕方がないのだ。

はらふくるるわざ

最終章への幕開け。
はらふくるるわざとは吉田兼好の、「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ」つまり「悩みや言いたいことを言わずにいると、腹にたまって良くないよね」という言い回しからなのだけど、そのタイトル通りに、小鳩くんも小佐内さんも、思ったことを言わないままにストーリーが展開していく。
小鳩くんは小佐内さんに頼まれもせずに悩み事を解決し(解決?)、小佐内さんも小鳩くんには本心を明かさないまま復讐の炎を心に灯す。

しかしやはりこうやって読み返していくと、特に小佐内さんは小市民になりたいとも思っていないようなんだよなあ。
小鳩くんがいうからまあ付き合っているだけで、実際のところの本心は別のところにある……?
というような期待をもたせながらシリーズは進んでいくのだけど。

孤狼の心

この本を締めくくりにふさわしい、青くて、痛くて、穴があったら入りたくなるような展開に身悶えた。
まるで幇間のようになってまで機嫌を取ろうとしても空回り。
小佐内さんのことを本心から心配して、自分の古傷までも健吾にさらけ出して協力してもらったのに、全てが手遅れ。
小鳩くんの助けもなしに、ひとりでミッションを遂行してしまう小佐内さんの底知れなさに、読者は震えることになるだろう。

米澤穂信のいいところは、小鳩くんの一人称視点なのにも関わらず、その本心までは明かさないところなんだよね。
そこを明確に意識に上らせてしまってはダメだという自制心があるから、人の思考には必ずしも思ったことが全部は現れない。
しかしそれでも端々に現れる感情の機微に、心を動かされてしまうのだ。

エピローグ

しかし最後まで読んでも小佐内さんが本当に「小市民」になりたがっているのか、本当のところが分からない。

我慢してもやっちゃうのなら、最初からやらないほうがいいんじゃない?
と、彼女は説く。

だけど小鳩くんは「諦めずにじっとやっていこう」と答える。
それに対して小佐内さんは「うん」と頷いて、その瞳には不動の意志が見て取れる、と小鳩くんは感じるのだけど、小鳩くんが感じたことが真実でないということは叙述トリックの基本でもある。

どうせうまく行かないのなら、この関係はいつまでも永く続く、と小鳩さんが思っているとしたら……?


みたいなことを考えながら読んだ。めちゃくちゃおもしろかった。
しかしこれ、映像化はやっぱりまず無理だよね。
氷菓に比べても毒が強すぎるし、絵面が地味すぎる。
当時連載されていたコミカライズも続かなかったしなあ(個人的には好きだったけど)。

完結した暁にはうまくまとめて映画化とか、そういう方向で進んでくれてもいいな、とは思う。

続きの夏期限定トロピカルパフェ事件もすでにAmazonのカートに入っているので、なにか買う機会があったら一緒に届くだろう。読むのが楽しみだ。