友がみなわれよりえらく見ゆる日よ

友達がすごい賞を受賞した。
同い年の同僚が家を買った。
リストラにあっていた友人が、資格取得のために学校に入りなおすと聞いた。
 
身近に夢をつかんだ人、夢をつかもうと努力している人を見るたびに、それが間違っているとわかっていながら、うらやんでしまう。自分の努力が足りないことが身にしみつつも、ぬるま湯の生活にあごまで浸かって生きていくことに慣れきってしまっているのだろう。
才能=熱意を持続させる能力、とは羽生善治岡田斗司夫も同じ事を言っていたが、自分もそれには全面的に賛成。好きじゃなければ成功しないし、好きなのに成功しないのは努力が足らないから。自分はどちらのパターンだろうか。
 
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ
ここ函館にゆかりの俳人石川啄木の句。
自分の無力感に打ちのめされそうになったとき、花を見て心をなぐさめるのはなんとも気障な話だけども、それを一緒に見る相手が妻、というところに何とも俗っぽいというか、啄木の人間臭さが感じられて好きだ。
 
働けど働けどわがくらし楽にならざり じっと手を見る
どちらかというとこちらの句のほうが有名かもしれない。どちらの句も厳しい現実と、そこからたくみに目をそらせる(笑)啄木の姿には共感を覚える。自分にはやりたいことがあるけれど、やらなければならないことに忙殺されているうちに、周りの人間に追い越され、劣等感にさいなまされる。
 
とりあえず自分も、啄木を見習って、妻と、とはいかないけれどベランダの野菜を愛でてみたりする。ハバネロが白い花を咲かせるのはまだ先のことになりそうだ。ミニトマトもずいぶん大きくなったが花をつける様子はない。向かいの畑のジャガイモの花の匂いが、むっとした夏の湿気をともなって漂ってくるばかり。
函館は今日も曇り。明日は晴れ間があるだろうか。