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完全無欠のローストポーク

結論から言ってしまうと、煮るのも焼くのも結局は、不完全な調理方法にすぎないわけで。

それは試行錯誤の結果辿り着いた暫定的な手法であって、科学的に正しいわけではない。だから「レシピ通りに作ったのに失敗する」という悲劇がある。とはいえ、単に肉を焼くというだけであっても、肉の厚みや焼き始める時の肉の温度、気温や湿度にも影響されるわけだから100%正しい調理法を追求することは難しい。どんなに詳細に書き込まれたレシピを読んで一語一句違えずに手を動かしたとしても、完璧に成功できるだろうか。そのためには、不確定要素が大きすぎる。

一流の料理人がいつでも同じクオリティの料理を提供できるのは、その圧倒的な場数によって、経験を元に最善の方法を見つけ出せるからだ。我々のような夕食料理人には100年かかってもその域には達することはできないだろう。

しかし、極論を言ってしまえば肉といえどもただの物質だ。そう考えれば実験室でSTAP細胞を作り出すように、誰もが正しく再現できて当たり前、ということになる。定量化してしまえば多少の誤差は想定の範囲内で、誰しもが「美味しいステーキの焼き方は、ありまーす」と言えるようになるのだ、理論的には。

そこで真空調理器

低温調理法によるアプリーチはまさに科学的手法で、肉を単なるタンパク質の塊であると単純化するところからスタートする。ミオシンだけを分解してアクチンを変性させない。それだけ。そこで最も重要なのは温度管理なので、沸騰したお湯に投げ込んだり炊飯器に突っ込んだりと、当たるも八卦当たらぬも八卦みたいなことをしてはいけない。我々に残された寿命は短く、夕食を食べる回数は限られているのだ。堕食で腹を満たす暇なんて無い。できる限り正解を追い求めたい。

そんな夕食の求道者に福音をもたらしたのが、真空調理器だった。

0.5℃の精度で正しい温度をキープできるこのマシンさえあれば、残されたファクターは時間だけになる。もはや勝利は眼前にあると言ってもいいだろう。

だがしかし、残念ながら『時間』については場数を踏んで、経験上正しい時間を見つけるしかない。ある程度の道標はある。しかし人には味覚の差もあるし、写真を見ただけで失敗と判別できるようなシロモノを「上手くできた」と言ってしまう人も多いため、探求の道は常に迷い路だった。

真空調理器を購入してから半年。何度となく挑戦を繰り返しているうちに、ようやく最適解といえるものを見つけ出したと思われるので、備忘録としてここに記しておく。

100%正しいローストポークの制作手順

真空調理器の準備をする

肉を漬けておくための容器には、もっぱら圧力鍋を使っている。ある程度重さがあったほうが安定感があって良い。鍋にANOVAをセットして半分くらい水を入れておく。別途ヤカンでお湯を沸かしておくと時短になるのでオススメ。

下味を付ける

表面に塩コショウをまぶしておく。ローストポークの場合はローズマリーの生ハーブがあると風味が違ってくるので手に入れたいところ。ハーブは刻んで表面にこすりつけておく。

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ちなみに先日、地球ドラマチックで科学者VS一流シェフの対決が放送されていた。

www.nhk.or.jp

とても興味深く見たのだけど、物質科学者があまりに非人間的だったのが残念。最低限のおいしくする工夫さえあれば圧勝できていたはずだ。ほこたてほどじゃないけれどちょっとアンフェアだったかな。

肉をジップロックに入れる

ジップロックにオリーブオイルを適量入れる。これは空気を追い出しやすくするためだけのものなので、入れなくてもいい。多少気泡が残ったところで仕上がりに差がないからだ。バターのほうが風味があっていいかもしれない。その場合は事前にお湯で溶かしておくこと。

肉をジップロックに入れたら空気の抜ける穴を少しだけ開けておき、水につけて空気を追い出してしっかりと閉じる。圧力鍋に入れたらヤカンで沸かしておいたお湯を加えて、65℃近くまで水温を上げること。

パスチャライズ

なぜ65℃か。ミオシンならばもっと低い温度でも変性する。なぜそんな高い温度なのか。

低温殺菌牛乳 - Wikipedia

それは肉を低温殺菌するため。いくらうまい肉を食いたいからといって死んでしまっては意味が無い。美食の道も、命あってのものだね。風味に多少損なわれる部分もあるかもしれないけれど、自殺希望者でなければきちんと殺菌しておくべきだろう。

65℃で30分。これが正義。これは正義。

超長期熟成

タイマーが鳴ったら今度は水温を55℃に、時間を24時間にセットする。24時間!

キーとなるのが55℃という温度。この温度で肉を1時間キープしておくことは丸2日の熟成に値するうえ、さらに素晴らしいことに、この温度であればたとえ何十時間放置しておいても、肉の風味は全く失われることがないのだそうな。

必然的に真空調理器を使ったこのローストポークは、食べたい日の前日に仕込んでおくことになる。前の日の夕食後にでも簡単に仕込んで、翌日の夕食の時は袋から取り出してフライパンで焼色をつけるだけ。24時間という時間は長そうに見えてもそれは数字だけの問題で、実際に手をかけているのは10分かそこらにしかすぎない。超長時間時短レシピである。

そしてここで、パスチャライズの重要性が光ってくる。もし雑菌が生き残っていたならば、この熟成期間の間に大繁殖して食べ物ではない何かになってしまうだろう。65℃で完全に殺菌しておくことで、肉を安らかに眠らせておくことができる。先に65℃の温度で失われてしまう何かがあるかもしれないと書いたけれど、それも結局のところは大事の前の小事にすぎないわけで。

低温殺菌しないという選択肢

低温殺菌しないという選択肢は、あくまでその肉が生で食べられる限られる上に、生の状態でなら問題ない細菌量であったとしても(買ってきた食材が無菌ということはありえない。あくまで「食べても問題がない量」であるだけ)、低温調理中にパンデミックを起こしてしまう可能性を考えなければならないだろう。

それは非常に大きな不確定要素である。新鮮に見えても菌が多いかもしれない。30分なら? 1時間なら? どの程度であれば大丈夫かは誰にもわからない。

一方、低温殺菌してしまうのであれば話が早い。科学的に完全に殺菌できているからだ。食中毒というファクターを完全に無視できる。65℃は正義、と言ったのはそのため。

なお、正しい低温殺菌に必要なのは63℃で30分となっている(これでもオーバーキル気味)。ただ、家庭で安心して食べる分にはそこまでギリギリのところを攻める必要はない。アクチンが分解し始める66℃より1℃低いし、芯まで温度を上げるためには、多少温度が高いほうが有利だろう。

また、基本的にこのレシピはスーパーで買える一般的な肉量についての記述となっていることから、例えば肉屋で枝肉をそのまま買ってきた場合や、牛一頭をまるごと真空調理したいような場合には不適切になっている。その場合は肉の厚みによって適宜殺菌時間を伸ばすべきだろう。

ちなみに水温を65℃から55℃に下げる際は、水などを加えて急激に下げてはならない。ANOVAは低い温度にセットした場合、ヒーターを切って水流のみでじわじわと温度を下げてくれるからだ。じわじわ下がるうちにじっくりと芯まであたたまる。

あとは焼くだけ

ここまで長々と書いてきたけれど結局のところ手順を整理すると、

  1. 肉に下味をつける
  2. ジップロックに入れる
  3. 65℃のお湯に30分つける(ANOVAのタイマー機能が使える)
  4. 55℃で翌日までキープ(12時間以上であれば好きなタイミングで取り出してOK)

というだけにすぎない。この行為を行うにあたって納得しなければならない理論がたくさんある、というだけ。

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だいたい18時間ぐらい経過後の姿。

前掲の地球ドラマチックでは、真空調理した肉を液体窒素で凍らせて油で揚げていたけど、さすがに家庭では無理。スキレットを使って高温で一気に焼き目をつければ完璧。

LODGE(ロッジ) ロジック8インチ スキレット フライパン L5SK3 (並行輸入品)

LODGE(ロッジ) ロジック8インチ スキレット フライパン L5SK3 (並行輸入品)

鉄スキといえばLODGE。手の込んだレシピ集はたくさん出ているけれど、単純に肉やジャガイモを焼くのが大正義すぎる。

実食

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もうね、肉。豚肉の良さしかない。

こんなに分厚いのに抵抗なく噛みきれて、いや、抵抗はある。あるんだけど、それが完璧な歯ごたえ。箸につまんで口の中に入れるまでは適度な弾力があって、しかし噛む力を加えると難なくずぬぬと噛みきれてしまう。この触感の良さは真空調理の醍醐味だと言える。グズグズでもなくパサパサでもなく、生肉のように食いちぎることもなく、食肉としての最適解の歯ごたえ。これだよ、これ。

味についても言わずもがなで、特にハーブの香りが凄い。ジップロックの中で閉じ込められていた風味は、逃げること無く一切を肉の中に封じ込められている。料理をしている時の「いい匂い」というのは実際のところ、食べる前に逃がしてしまっている結果だとも言える。

課題はソース

素材としての肉はかなり完璧なところまでたどり着いたが、課題はソース。

出来上がったらとにかく早く食べてしまいたいので、作ったとしても袋に残った肉汁をスキレットで煮詰めて、ケチャップとソースとバターを加えて塩コショウで調整するなんちゃってグレービーソースくらい。もしくは市販のステーキのタレや、ストレートに塩コショウなんかで食べてしまう。

そこいらへんを頑張っていけばさらに上を目指していける気はするんだけど、多分性格的にそこまでやるのは無理だという、確信めいたものを持っている。腹八分目までが料理をいちばんおいしく感じられるように、趣味にしても何にしても、八分目ぐらいまでにとどめておくのがいちばん楽しいだろう。きっと。