ケン・リュウの「紙の動物園」を読んだ

ケン・リュウ編の「折りたたみ北京」が猛烈に面白かったという話を前に書いた。

pikaring.hatenablog.com

ので、編者のケン・リュウが書いた「紙の動物園」も読んでみることにした。

折りたたみ北京の序文でケン・リュウは、中国出身という色眼鏡で見ずに楽しんでほしい旨のことを書いていたので、てっきりこの人はテッド・チャンのような中国系アメリカ人で、単に人種が中国系というだけのモダンSFを書いているものだと思っていたら全然違っていて、いい意味で裏切られた。

表題作の「紙の動物園」は、中国とアメリカの狭間を描いた物語なんだけど、わずか30ページ程度の中に魔法と、歴史と、人間の愛と苦しみがぎゅっと収められた珠玉の短編だった。

その他の短編もすべて短いけれども力強く、現実の世界にある問題を鋭く切り裂いている。
特にTPTは、この短さでディックの高い城の男をやりきってしまったかのような切れ味があった。


その作品も背景に中国が無ければ成立しない話だし、ところどころに散りばめられた中国語のメッセージの、どれも作品に輝きを与えていると感じた。

作品のコアに中国という存在があって、作品を通じて表現したい「中国」と、「中国」という素材で表現したいことと、「中国」を用いることで伝えたいことが、すべて整合性が取れている。

韓国映画の新感染を観たときにもそれはすごく強く感じて、韓国という国の民族性やメンタリティが根底にあるような気がした。

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もしかしたらパラサイトがアカデミー賞を受賞したのも、そういった側面が評価されたからなのかもしれない。見てないけど。

思えばハリウッド映画も、アメリカの文化や考え方を伝えるための装置だからこそ訴求力が強く、人の心に響くのかもしれない。

果たして現代の日本の小説に、いまアジアの国々で行われているように、日本という国を/日本という国の/日本という国で表現している作品はあるのだろうか。

日本の文学作品がノーベル賞を取ったのは川端康成の雪国で、あれはもう完全に日本という国をそのままに切り取った作品なので、日本という国が知られていなかった時代には良かったかもしれないけれど、いま現在出版されたら同じような評価は受けないだろう。

村上春樹ノーベル文学賞を取らないのも、多分そーゆーところにフォーカスしていないからなんじゃないのかな、と思った。