荒潮というタイトルはどうかと思ったが作品自体は最高に面白かった
最近はめっきりと近代中国SFにハマっている。
何がいいと言えば背景となっている中国が面白すぎるのだ。
アジア的SFの金字塔といえば攻殻機動隊だけれども、いまや近未来となった日本はアジア的要素が抜け落ちて、資本主義によってアメリカナイズされ、マクドナルド的に画一化されてしまった。
そういう意味で中国SFを読むのは、一種の郷愁なのかもしれないという思いがある。
かつてぼくらは近現代のアメリカ文学を読んで、レモネードやオートミールなどの見たことも聞いたこともない食品に心躍らせていつの日にかそれを食べることを夢見ていた。
文学とはある意味でナショナリズムの発露であって、単に文章力が優れているとか、単に描写に優れていることだけでは、美文に溢れてしまっている現代では評価されず、つまり、自分たちが知り得ないその国独自の文化や風習、空気感を伝えることにこそ、文学の意味があるようになっているのではないかということ。
日本的闇が払われてしまった2020年の日本には、例えば2120年の近未来ジャパンに繰り越していくべき何かは存在するのだろうかとも思うし、一方で中国にはそういった、世界に伝えるべきあれやこれやがまだまだたくさん残っていることを、羨ましくもあるし、懐かしくも感じるのだ。
というわけで今回は荒潮。
- 作者:陳 楸帆
- 発売日: 2020/01/23
- メディア: 新書
折りたたみ北京のなかで一番好きだった、沙嘴の花の作者である陳楸帆の作品。
近未来のテクノロジーと三千年の歴史と伝統の対比もそうだし、圧倒的な富と貧困、居住地による文化的障壁、一国の中にあるいくつもの言語、安すぎる人の命、血の絆、暴力、ドラッグetc.
そういったパワフルな混沌は、まさに中国を背景にしなければ成り立たないだろうという確信的なものがあった。
これまでの中国は言ってみれば鎖国状態に近かったのかもしれない。
そりゃもちろん他の国との経済的なつながりはあるけれども、それは工場としての中国であって、市井の一般人が積極的に欧米社会と関わりを持たなかったという意味で。
中国という一つの世界で完結していたものが、文明開化じゃないけれどダイレクトに欧米が自分たちの生活に侵入してくることによるコンフリクト。
そういうものが作品の面白さの根幹のところにあるのではないかと思った。
しかし、荒潮計画というワードが出てくるたびに、艦これを連想してしまうのはまいった。
陳楸帆の荒潮(SFの方)面白かったんだけど、「荒潮計画」という単語を見るたびに「荒潮を改二にする計画?」などと思ってしまうのは玉に瑕だった。 https://t.co/76JrKsyN2I @より pic.twitter.com/dRRAdpPWqB
— pikaring🌕 (@pikaring) 2020年2月7日
今時艦これやっている人って何人くらいいるんだろう……。