セックス・エデュケーションを見た

伊集院さんがラジオで勧めていたセックス・エデュケーションを見てみたら、これが猛烈に面白くって睡眠時間を削りながら一気に見てしまった。

www.netflix.com

あらすじを簡単に説明すると、パリンパリンの童貞で非モテのしょぼくれボーイが、ひょんなことから学校中の性のアドバイザーになってしまうという荒唐無稽なストーリーなんだけど、これがもう絶妙にリアリティがあって、胸に刺さる。

イギリスの現代ドラマだから日本よりも学生の性生活は進んでいたりするんだろうけど、それでも自分が中学生高校生だった時代と比べても、かなり似通っていると感じてしまうのだ。


自分の学生時代を思い出すと、周りの人間はどこをどうやったのか分からないけど次から次に彼女を作って童貞を失っているというのに、自分といえば何をどうやればいいのか分からないまま無駄に失敗を重ね、ただ闇雲におろおろしては徒労を繰り返すばかり。

まるで自分だけが目隠しをされた中で鬼ごっこをしているような、手がかりもなければルールすら見つからない理不尽な状況に陥ったような、そんなもやもやした感情が、このドラマの主人公を見ているとまざまざと思い出されてきた。


本作では非モテを主人公にするその一方で、その対極にある「うまくヤレている」スクールカーストの頂点の位置する彼ら彼女らにも、インポテンツ、性病、リベンジポルノ、堕胎などなど各々の問題を抱えており、そこを童貞の主人公が解決したりしなかったりするところにカタルシスがあるのだけど、しかしそれでもやっぱり、ヤレる者/ヤレない者の間には深くて暗い溝があるところが、辛い(面白い)。

人には誰しも内部に空虚を抱えていて、そこを埋めるナニモノかがなければ、チクワのように潰れたり、凹んだり、裏返ってしまう。

人間は動物である以上、その空虚を埋めるのにもっとも適しているのは、男性ならば女性の体、女性ならば男性の体であって、それを得られないことで、自分の人格の、存在の、すべてを否定されたように感じてしまう。

もちろん、人間は動物を超越した存在なので、違うもので埋めることも可能であり、可能なんだけどそれを超越するための道もまた険しくて、やっぱり安易な道などなかったりする。


だから、ストーリーとしても簡単に「○○でスッキリ解決さ!」みたいなことは全然なくて、なにかを解決するためにはなにかを犠牲にせざるを得なかったり、誰かに出逢えば誰かを失い、喜びの影には常に失望がつきまとい、喜怒哀楽を常に揺さぶられるような内容だった。

結局人生というのはギャンブルの一種で、時には自分が持っているものをすべて投げ売ってでも勝負に出なければならなかったり、だけどもそれは高いところから飛び降りようとするような派手なことじゃなくて、一見地味だけどとても勇気のいるような、何気ないことがとても大事だったり。

そんな、いろんなことを考えさせられたドラマだった。シーズン2の制作も決定したとのことなので、続きを楽しみにしたい。