好きを貫くこと

レイモンド・カーヴァーの"What We Talk About When We Talk About Love"へのオマージュだと一目で気づくタイトルを見たときから、この本は並大抵の覚悟で書かれたものではない、という予感がしていました。
 

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

 
その予想は大正解。作中でも書いていますが、一種の自伝的な作品になっていて、どうやって作家になったのか、作家になる前は何を考え、作家になった後は何を考えていたのか。そんな、村上春樹にとって人生の核となる部分が、走ることになぞらえてシンプルな言葉遣いで語られています。
 
今作で何度も繰り返して主張されていることが、好きを貫くことの困難さと、それを乗り越えたときの充実感が、何事にも変えがたいということでした。
一年に一度マラソンを走るために、毎日トレーニングをして体を作り、レースとなれば苦しいし、毎年タイムは伸びなくなる。それでも、終わってみればまた走りたいと思う。分からない人にはわからないけれど、自分が満足するために続けていく。
好きなことを、自分が満足できるように続けるためには、途方も無い努力と孤独さとを抱え込んで生きていくことを意味している、その代わり、やり遂げたときには余人には分かりえない達成感があるのだと村上春樹は伝えます。だからやめておけとか、やったほうがいいとかではなく、ここにある現実として淡々と語っていました。
 
そこに僕は、羨ましさと眩しさがないまぜになったような、ある種の諦観を感じました。でもその代わり、僕らは無責任に感動を味わえるのだ、生み出す苦労無しに天才達の生み出した芸術の成果を味わえるのだ、と考えればそう悪くは無いのかもしれません。
努力をした代わりにその分のリターンを受け取っているし、しない人間はそれなりに楽しめるのだという、世の中の真理のようなものがここでも成立しているのだなと感じました。