好きを貫く人生

 My Life Between Silicon Valley and Japanより抜粋。大事なのは自分の人生を賭してでもやりたい事を見つけることではなくて、好きになったものにいかに一途に情熱を傾けられるかということ。
 

 
 人生の幸福とは「好きを貫いて生涯を送ること」だと僕は思っている。「好きを貫いて生涯を送ること」は素晴らしいことだ。人からどう見えるとか、他人と比較してどうこうという相対的基準に左右されるのではなく、自分を信じ、好きを貫く人生を送ること。本当の幸福とは、そういう心の在り様にこそあると、僕はそう信じているから、若い人達に、そんなに簡単に「好きを貫く」ことを諦めてほしくない。でも「簡単だから、やってごらん」なんて言ってるわけじゃない。
 
(中略)
 
 「好きを貫いて生きていけるほど、世の中、甘いもんじゃない」と多くの大人たちは言うだろう。「好きなんてことは忘れて、いまの社会で通用する人間になれ・・・」というような言葉を日本の若者たちはシャワーのように浴びているのだろう。むろん「好きを貫いて生きていけるほど、世の中、甘いもんじゃない」というのは、全体としては正しい。たしかに、甘いもんじゃなく難しいことなのだけれど、「好きを貫いて生涯を送る」ことを目標にすべきだと僕が信ずるのは、難しさに挑戦するだけの価値がある「素晴らしい人生」だと思うから。「難しいから諦めろ」と言うにはあまりにももったいないと思うからだ。
 
■[コラム] 「好きを貫く」のはそんなに簡単なことではない。意識的で戦略的でなければ「好きを貫く」人生なんて送れないよ。

 
 でも、何かを好きになることでさえすごく怖いことなのに、そこに自分の人生を賭けるところまでいけるのだろうか。
 
 何かを好きになることって、言ってみれば世界に戦いを挑んでいるようなものだ。
 同好の士が集まれば、どれだけ趣味にお金を、時間を、自分の持てるリソースをつぎ込んだのかの戦いになる。自分の中でどれだけ好きであっても、他人と比べて劣っていればみじめだろう。趣味でなくても、好きなものがあればそれをけなされれば腹も立つし、好きだからこそ嫌な思いをすることも多い。
 
 だからこそ今の人に「嫌いがり」な人が多いんだろうな、とは思う。何が好きかも無くただ批判だけしていれば楽だろうし、傷つくこともない。こういう人が今回の梅田氏のエントリーを見て苦々しく思うのはわけも無いと思う。自分だってこのコラムを読みながら、失われてしまった時間のことを考えて途方にくれてしまうのだから。「好きを貫いて生きていけるほど、世の中、甘いもんじゃない」といわれて育った人間にとって、「好きなことを貫いて生きることは素晴らしい」という言葉はまぶしすぎる。
 
 自分もこのように生きるにはどうしたらいいだろうか。とりあえず好きなものを減らしていかなきゃダメなんだろうな。必要なのは多分、純度を高めること。なんでもかんでもかじってたおかげで全部中途半端になってるのは分かってる。自分がお金と時間をかけてやっていることの中で、不必要な物事を削っていこう。まずはそこから。そうすれば本当に好きなものだけが残るかもしれない。