土俵に立つ前の問題

 「ホンネの資産運用」さんにトラックバックをお送りしたところ、「頑張った人が報われるべき」論の落とし穴と題して論評していただきました。本文もコメント欄も含め、自分の考えていることと違う側面からの意見を聞くことが出来てとても勉強になりました。
 ただ2,3点気にかかることがあったので最後に一回だけトラバさせていただきました。コメント欄の方がまとめに入っていたのと、長文になったので自分のとこのほうが都合がいいと思ったからで、議論をするつもりではありません。
 
 結論から申し上げるとワーキングプア問題と言うのは、彼らが土俵に立つ前の段階であったことが原因だと考えています。社会に出るための努力もせずに、なんのウォーミングアップもせずに、戦いに出てどうして勝てるのでしょうか。戦いに備えることを知らなかったことが、彼らの一番の罪だと思っています。
 
 結局のところ「努力不足に気づく」段階では全てが遅すぎるのです。やり直すにしても、何かを始めるにしても、途中参加ではハードルが高くなるのは当然のこと。何をもって「努力の度合いを公正に測って」なのかが分かりません。かけた時間が短い人が不利になることが「公正」じゃないんだろうか。小中高と12年間をドブに捨てた代償が大きいのは(なんてったって人生の6分の1ですぜ)ちょっと考えれば分かる話ではないでしょうか。
 この問題で一番重要なのは義務教育なのです。その段階で努力をすることの重要性を学んでいればこうはならないと考えています。そのためには別にエリート教育を行う必要は無く、正直者が馬鹿を見るような今の教育のあり方を変えることで達成できるでしょう。
 そういう意味ではゆうきさんのコメントの中の「大卒でなければ正規雇用の道はほとんど閉ざされているのに、義務教育レベルに限定して教育コストの議論をすることが意味があるとは思えませんが・・・」という部分は、その前段階の努力を見落としております。義務教育段階で落ちこぼれている人間が、どうして大学に進学することができるでしょうか。そこで努力をすることを学ばないでいつ学ぶことができるのでしょうか。
 
 
 また本文の中の、(1)のワーキングプアの子はワーキングプアになるというのは(他の方もコメントされていましたが)「莫大なコストがかかる」ためではありません。"努力をしなかった親"を見て育つことが原因と言われています。これについては深く言及しませんが、コストが高いために進学を諦めるというのは幻想に過ぎないのです。小中高と優等生だったが親にお金が無いため進学を諦めたという"物語"はとても美しいけれど、それは努力を放棄したことの言い訳に過ぎません。現実には奨学金もあるし、私の知り合いには新聞奨学生だった人もいました。仮に大学に行かなかったとしても、そういう人間は高卒でも正社員としてバリバリ働けるのではありませんか?
 
 (2)については所得が少ない家庭ほど子どもを生む人数が多いという統計があり、明らかに事実誤認です。少子化の原因がコスト意識にあることは事実でも、それを意識するのは一定の水準以上の人だけ。いわゆるDINKs層が増加していることが要因だと言われています。
 
 (3)についてはどうでしょうか。努力というのはすごく難しい言葉で、例えば本人が「いっぱい頑張った」と思っていても全然効果が上がらない、なんてこともよくあります。それは効率の問題だったりもしますが、意外と「本人が努力したと思い込んでいる」だけのケースが多いのです。
 私が学生時代家庭教師をしていたころ、本当に勉強が出来ない子がいました。比喩表現ではありません。本当にできなかったのです。
 彼の勉強態度には目を見張るものがありました。中学2年生にしてアルファベットが書けないというので、教科書を開かせ、Aから順に一文字ずつノートに書かせてみました。その字体といったら、全身全霊をこめて汚く書いたとしか思えないようなものでした。彼はそのようにして全身で教育を受けることを拒否し、1時間の授業が終わる頃には疲労困憊し、母親に向かって「今日も頑張った」などと言うわけです。次の週には当然全部忘れているのですが、これが彼にとっての努力であり、頑張りなのです。
 この例はちょっと極端ですが、私は今でも「こんなに頑張ったのに」と主張する人を見ると、懐疑的にならずにはいられません。本当に頑張ったのか、何をどうやったのだ、そういうことを聞くのは失礼だという風潮もあるようですが、私にはなんの担保もなしに優しくしてあげる気持ちにはならないのです。
 
 社会的弱者を救うためのコストを払わなくてはならない理由は良く分かるのですが、果たして実態はどうなんでしょうか。「生きさせろ! 難民化する若者たち」は大変評判もいいようですが、内容は当然偏っているはずです。私が作者でも、もちろんいかにも応援してあげたくなる人間だけを選んで本を書くでしょう。
 日本がこれだけ弱っている時代に、ちょっと景気が良くなったからといって「分け前をよこせ!」と叫ぶのはハイエナみたいで見ていると気分が悪くなります。株価が好調なんじゃなくて円が安くなって企業価値は変わらないから見かけの数字が上がっているだけだと思うんですがどうなんでしょうか。
 
 最後に、「1600万人も非正規雇用者がいることが問題」とおっしゃっておられますが、10年前から1400万人ぐらいはいましたし、特に男性の35時間未満従業員数は平成8年からほとんど増えてないことを考えると問題とは思えません。特にパートタイマーなんかは自分で選んでその仕事に就いているわけですし、ちょっと問題がごっちゃになっているかと感じました。
 
 どうも最近はもらう側の声が大きすぎる気がしてこういった話題には敏感になりってしまいます。反論することはタブーだし、声が大きい方が取り分は大きくなるとばかりによこせよこせの大合唱です。見るたびに(その努力をもっと建設的なほうに使えないもんかねぇ・・・)と考えてしまうんですが、何をお前偉そうにってことになるんでしょうね。
 中には本当に困っている人もいるんでしょうけど、いかにもDQNな人間だってわんさかいるわけじゃないですか。この前テレビで見た出稼ぎ労働者のユニオンの代表はゴツくて鼻ピアスで金髪で、道であったら10mは離れて歩きたくなるような風貌でした。それとこれとは問題は別かもしれないけど、ワーキングプアの問題を見るたびに救わないとならないことは理解できるんですが、どうしてもパチンコ中毒の生活保護受給者とイメージが重なってイヤな気持ちにさせられます。
 きっとこの気持ちは嫉妬なんでしょうね。若い頃に若さを燃やし尽くして遊び、それが燃え尽きたとなれば今度は救ってもらえる。うらやましいな〜。ま、私の勝手なイメージなんですが。現実はもっと大変なんでしょうね、きっと。