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オールドタイプの思考法

 自らの限界を開け広げにできる点が、逆にその人の底の知れなさを示すということなのか。

先を読む頭脳

先を読む頭脳

 将棋を指さない人でも知っている随一の将棋指しである羽生善治三冠の著書。空前絶後の大天才であるにも関わらず、自分の衰えと新しい世代の勃興を予感しているところが素晴らしい。これこそが「無知の知」ということであろうと思いました。
 例えば、この本の一節にこういう部分がありました。

 私は、パソコンの画面でマウスをクリックして動かすのと、実際の盤上で駒を動かすのとでは、蓄積される記憶の質が違うように感じています。
(中略)
 一言で言うと、パソコンの画面上での研究は、「目で見ている」という感覚になってしまいます。それに比べて盤上で駒を動かしていると「手で覚える」という感じがします。

 ここまでは自分にも非常に納得できる部分です。単一的な方法よりも様々なアプローチを通じたほうが記憶の効率がいいことは実証されていることですし。ただこの後に、

 もしかすると、これからは「手で覚える」という感覚などとは無縁な新しい感覚を持った人が増えてくるかもしれません。

 と続くあたりに羽生さんの懐の深さを感じます。自分が理解できない感覚に対してもアドバンテージを認める姿勢には見習いたい。自分の経験則としてはやはり、身体的なアプローチが重要だと考えてしまいます。これはやはり、自分がオールドタイプだからそう思いたいのでしょう。そういえば内田樹も辞書を引くことの身体的トレーニングについて語っていた、ような気もします。新時代を生きる人間はそのような古い感覚とは無縁に、視覚だけで五感を超越した学習効果を得ることができるのでしょう。
 身体的な感覚を得るということはそれだけの苦労があるわけで、それ無しに効率的に学習することなどできはしない、というのは苦労をはらってきた人間の蒙昧かもしれません。この本を読んで、自分の理解できない感覚にも、少しだけ寛大になれるようになったかもしれません。