「天気の子」見てきた 〜進化する新海誠の「恋」と「愛」〜

天気の子、すごく良かった。良すぎてびっくりした。

今まで見た新海誠の作品の中で一番好きかもしれない。

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隅から隅まで自分が好きな要素が詰まっていて、新海誠から「お前らこういうの好きなんだろ? 全部詰め込んでやったぞ」と言われているかのようだった。

こんな単純に真っ直ぐ面白いやつでコロッと感動させられてしまうなんて人としてチョロすぎると自分でも思うんだけど、暴力的なまでの圧倒的な面白さの洪水の前には、個人の感情なんて急流の笹舟のようにただ翻弄されるだけなのだ。

ハラハラしたかと思うとワクワクする展開に変わり、ほっこりするようなシーンのあとには心乱れる場面が待っていて、「こうくるな」と分かっていても感動させられることしかできない。

抵抗するだけ無駄なんだよね。素直に急流に身を任せてしまって、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」とでもうそぶいていたほうが幸せなのだと思う。


映画を見ていて筋書き通りに踊らされることに嫌になることもあるんだけど、こと「天気の子」については全くそんなことがなかった。

この映画のキャッチフレーズは「あの日私たちは 世界の形を決定的に 変えてしまったんだ」なのだけど、素直に、「世界の形を変えるしかないな」とうなづけてしまう仕上がりになっていて、非常に満足できた。

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以下はネタバレ気味の感想。


東京には延々と雨が降り続いていて、その雨を晴らすために陽菜さんは人柱になってしまう。

彼女を救うということは「東京を救わない」ということとのトレードオフなんだけど、それを覚悟で、二人で雨降る世界で暮らし続けたいと思うことが尊いと感じた。

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これまでの新海誠は基本的に【初恋至上主義者】で、人が人に恋をすることが人生の中で最も尊いことであると語り続けてきた。

ただ、「言の葉の庭」や「秒速5センチメートル」なんかでは、人が人に恋をすることは素晴らしいけれど、それを失ってしまうことは死に匹敵する恐怖であって、だったら実らせるようとするよりも大事に胸の中にしまい続けてドライフラワーのように永遠に保ち続けよう、というねじ曲がったオタクっぽい純情さがあったんだよね。

それが「君の名は」になって、恋を実らせる方向に一歩足を踏み出したことで自分は非常に感動したんだけど、今回の「天気の子」ではさらに前に進んで、求めるものが恋から愛に変わったんだと感じた。

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恋は一瞬のものだけど、愛はそれから先もずっと続くこと。

雨がやまない東京で、雨を晴らさなかった業を背負いながらも、それでも陽菜さんと一緒に暮らしていきたいと思う気持ちが、愛なのだ。


作品のテーマが愛であるところは、最初に帆高が須賀さんの事務所に転がり込んだところからも明らかで、須賀さんと夏美さん、そして帆高の三人は親子のようで兄弟のようで、そこには紛れもない家族愛があった。

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他人に冷たい人ばかりで、雨ばかり降って陰陰鬱々としている東京の中で、警戒心を解いて安らげる、唯一の息苦しさがない場所。

それはやっぱり家族なのだ。逃げ出した先で手に入れた、新しい家族。

そのことが如実に現れているのが帆高が事務所の掃除をしたり、二人にご飯を作るところ。

ただ寂しいからと寄り添うだけではなく、家族を維持しようとする働きが家族という機構を成立させている。


そういう意味で、陽菜さんの家でチャーハンを作ってもらったことは、呪術的・儀式的に非常に大きな意味を持つと思うんですよ。

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帆高がコンビニで買ってきたポテチとチキンラーメンが、陽菜さんの手によってチャーハンに生まれ変わること。

そのことによって二人が(弟の凪先輩を含めて三人が)、家族として構成されるのだ。


論理展開として飛躍しすぎかもしれないけど、あのチャーハンを見た瞬間、たしかに自分の脳内に

「陽菜さんは俺の嫁!」

という言葉が電撃のように走ったのだから仕方がない。


「恋」がテーマであれば実ってしまったところで物語が終わるんだけど、「天気の子」は「愛」がテーマであるから、後日談も描かなくてはならない。

3年間降り続いた雨によって半ば水没してしまった東京の姿に帆高は後悔を抱え、陽菜さんは、晴れ女でなくなった今でも雨が止むよう祈り続けている。

ただ、須賀さんが帆高に

「あんまり気にすんなよ」

と言ったとおり、本当は東京が水没したのは帆高と陽菜さんのせいではないのかもしれない。

陽菜さんは晴れ女でもなんでもなく、晴れ間が差したのも単なる偶然に過ぎなくて、すべては二人の思い込みで、瀧のおばあさんが言っていたように東京は200年前まで海だったんだし、気象神社の神主さんが言うとおり人間の言う「観測史上初」なんてたかだか100年くらいのスケールなのだから、3年間降り続ける雨も単なる異常気象のせいなのかもしれない。

でも真相はどうあれ真実は二人の記憶の中にしか無くて、それが二人を結びつけるのならば、それは真相よりもずっと大事なことなのかもしれないな、と思った。

愛にできることはまだあるよ。


「君の名は」と同様、自分の大切な人と一緒に見に行くとより楽しめると思う。