奥尻島一周の旅その2 ~奥尻冒険島に挑戦~

お昼ご飯がまだだったので、原付一周の旅に出発する前に腹ごしらえをすることにしました。なにせ奥尻島は離島。食事をするところが極端に少ないんですね。コンビニはあるけどセイコーマートが一軒、港のそばにあるだけ。ということで、フェリーターミナルのすぐ目の前にあるその名も『おくしり食堂』に向かいました。

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okushiriphotos.blogspot.jp

ところがこのお店、名前に反して海鮮の「か」の字もないタイプ。定食とそばと蕎麦とうどんとカレーがあって地元の人が家族で食べに来るような、いわゆる町の定食屋さんという雰囲気でした。

間違ったところに迷い込んでしまったなあと思いつつ、仕方がないのでとろろ蕎麦と、表のメニューにあった「うにオニギリ」600円也を注文しました。

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トロロはすりおろしタイプではなく細切りで、シャキシャキした食感が楽しめます。めんつゆが完璧にめんみ味だったのは実家感がありました。ウニおにぎりは内心「一個で600円かよ! ボッタクリか!」と思いましたが、観光客狙い撃ちのメニューに狙われたんだから自業自得ですわな(-_-;)

奥尻冒険島にチャレンジ

若干気落ちしつつ、いよいよここから出発するわけですが、奥尻島は一周70km弱しかない小さい島なので、全力で巡ってしまったら明日までに2,3周してしまいかねません。ただ単に名所を巡るだけでなくなにか目標を持って行きたいなと思って調べていると、こんな企画を知りました。

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奥尻島謎解き冒険ゲーム - realgokko公式ページ!

島の各地に隠された謎を解いてまわるというイベントで、ちょっと面白そうだったので参加してみることにしました。参加料は500円で、原付を使うのでドライブコースを選択。

冒険島 東の謎

フェリーターミナルの近くに第一の謎が隠された場所があるというので探してみると、たまたまターミナルの2階に上がった時に謎のオブジェを見かけたので近づいてみました。

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結構ちゃんと探さないと見落としがちなので難しい。他の謎の在り処はパンフレットを見ればすぐに分かるけど、ここは運良く見つけていなければスルーしてしまうところでした。ここの謎はかなり簡単。

旅館が島の南側にあるので、青苗地区にある奥尻津波館に向けて原付でブイーンと走り出しました。

奥尻津波

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奥尻島津波館 | 奥尻島観光協会

奥尻島といえば外せないのが、今から25年前に発生した北海道南西沖地震での被害です。若い方はほとんど知らないと思いますが、自分は当時中学生で、ちょうど中体連の前日だったかな。夜にベッドに転がって本を読んでいたらいきなりドーン!と下から突き上げられましたのを覚えています。ものすごい縦揺れだったので、最初は全く地震とは思いませんでした。

翌朝家を出るといろんな場所で液状化現象が起きて泥水が吹き出しており、学校に行くと校舎の棟と棟の間に隙間ができて外が見えるような有様で、それが自分の南西沖地震の思い出ですが、一番の被害を受けた奥尻島の被害は桁外れでした。

地震発生からわずか3分後、島の全土を津波が襲い、青苗地区の岬の突端の集落は時速500kmの津波で一瞬にして削り取られました。

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青苗地区を地理院地図の3D表示で見るとこんな感じ。先端の標高が低いところに住んでいた人は、あっという間に海の藻屑となってしまいました。そのあたりは現在では公園と津波館として整備されており、人が住めないようになっています。

津波の速さが新幹線の2倍の速さというのはにわかには信じがたい話ですが、家が基礎ごと海にもっていかれたのを見ると納得。そして地震発生から縦揺れが収まるまで1分30秒、津波が到達したのが3分後だというから酷い。函館の方でも立っていられないぐらいの揺れだったのに、余震もだいぶ長く続いたのに、気持ちを立て直す暇もなく襲ってくるわけです。実際、高台からほんの近くに住んでいた人以外は逃げることがかなわなかったとか。

さらに18分後、今度は北海道西岸にぶつかって跳ね返ってきた波が島の東側を襲います。この頃には生き延びた人はすべて高台に避難できていたので良かったんですが、打ち上げられた漁船から漏れた重油が流れ出して集落は火の海になってしまいました。その様子はまるで戦争のようだったといいます。

地震館に入って「ガイド付きがいいですか?」と聞かれてせっかくなのでお願いしたところ、このような震災の体験を、本当に体験したガイドさんから生々しく聞かされ、被害の程を実感できたのが良かったです。普通にガイド無しで自分たちだけで展示品を見るだけだったら、あっという間に通り過ぎて記憶の端にも残らないところでした。

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ただまあ個人的には避難路も何もかも、ちょっとやりすぎなぐらいなんじゃないのかなという気がしたりもします。1兆円近い復興予算をかけて整備しても過疎化はどんどん進んで今や人口は2,700人。せっかく整備した避難路も高齢者には登れないというし、漁港や漁船も全部新しくしたけど後継者不足で漁獲高は年々右肩下がり。奥尻町は震災復興のために多額の負債を抱えて将来的に使える予算が無いと来たら、復興を名目にゼネコンにお金を吸い上げられただけなんでないのかな、と。

ガイドさんは「縄文時代の遺跡が高台から見つかるのは太古の昔に襲われた津波を恐れたからだが、町が発展するとその教えを忘れて浜辺に住むようになった。今は津波館と公園だけにして人が住めないようにしているが、何百年かしたらまた住むようになるかもしれない」と言っていましたが、何百年かたったら無人島(もしくは松前大島のようにときどき漁師が立ち寄る島)になる方が確実なんでないのかな、と思ってしまいました。縄文の遺跡も、人が住まないような不便な高台だから現代まで残っただけかもしれないしなあ。