ぼくの地球を守ってを読んだ

十三機兵防衛圏がぼく地球のオマージュになっているというので、妻から借りて読んでみることにした。

ぼくの地球を守って 1 (白泉社文庫)

ぼくの地球を守って 1 (白泉社文庫)

昔の少女漫画特有のノリでずっこけるところもあったけど、やっぱり登場人物たちの気持ちのすれ違い繊細な感情表現は上手くて引き込まれた。
かなり面白い。

ただ、逆に言うと、引き込まれないと面白くない、という部分は大きい。
登場人物が、いま自分が何を思っているのかを明確に言わないので、読者側がきちんと丁寧に読んでいかないと肝心なところを読み飛ばしてしまったり、誤読してしまったりもする。

しかしそれは別に不親切だからなのではなく、より現実寄りなのだとも思う。
例えばぼくたちだって何かを思う時に第三者にわかるように逐語的に思い浮かべるわけではなく、散文的に、そして自明のことは省いたり、思い浮かべたくないことは思い出さないようにする。
内心はさらにその上位にある潜在意識にコントロールされているため、モノローグがあったところで全ての真実が顕になるわけではないというのが、リアルな表現だと感じた。

最近だと、おにめつのじん? だっけ? みたいな、あーゆー思っていることを全部明確に書き出さないと分からない読者層向けのアニメが流行っているので、読解力がないと厳しい。


自分がぼく地球を読んでいて確信したのは、「木蓮と紫苑の恋物語に見せかけておいて、真のテーマは玉蘭×紫苑じゃねーか!」というところ。
どう考えても紫苑は玉蘭が好きで好きでしょうがないのに、そう読み取らない人が意外と多くてびっくりした。

9巻で玉蘭がついに紫苑にキレたシーン。玉蘭はこう叫ぶ。
「じゃあ何をどうしてほしいんだ この僕に‼︎」

それを聞いた紫苑は一瞬黙り込んで、
「関わるなよ オレに」
と突き放す。

でもさ、ここで紫苑が玉蘭に求めていたものって、玉蘭からのキスに決まってんじゃんかー!!!

紫苑はずっと、幼い時にラザロからされたような、無償の愛のしるしを誰かから与えて欲しかった。
だけど心の底から欲しいと思っていても、自分が欲しいと思っていると考えることさえも辛いからモノローグにさえ出てこない。

紫苑が玉蘭から愛されたいと思うのはBLじゃなくて、自分にないものを持っている人から愛を分けてもらいたいと願うから。
だからココには見向きもしないし、玉蘭や木蓮のような、自分が憧れる人から愛されたい。
だけどひねくれたまま育って捻じくれ曲がってしまうと、無償の愛をくれる人は幼い頃にも増して誰もいなくなってしまった。

そこを踏まえて1巻から読み直すと、亜梨子(転生した木蓮)よりも9歳年下の輪(転生した紫苑)が、どれだけわがままをしても亜梨子から愛され続けるところなど、なかなかに感慨深い。

この決定的な二人のすれ違いがぼく地球の最大のクライマックスなのだけど、紫苑の気持ちを丁寧に読み取ろうとしなければ真意が読み取りにくくって、なかなかに難易度が高い。


最後に木蓮パートになってチェス盤がひっくり返る所が良かった。
木蓮視点を読んでから紫苑視点を読み直すと発見が色々とあったり、紫苑から見るとあんなに神秘的で謎めいてみた木蓮が、実は「あら、いい男が二人もいるわ(はーと」みたいなノリだったり、上手く作られている。

細かく見ていくと7人の転生者のうち桜と柊がおミソだったり、未来路みたいな単に作者がお気に入りのキャラクターに無双させてみたりといろいろと気になるところもなくはないのだけど、一気に読んでしまうくらい面白かった。

結局、なんでキチェスが消えなかったのか明確な説明もないしね。
木蓮が本物の「キチェ=サージャリアン」だったから消えなかったという説明では、じゃあ木蓮の両親はどうだったのよ、とも思うし。
残された最後のサージャリアンだったからかな、と個人的に思うのだがどうか。


そういった点も含めて総合的には十三機兵防衛圏の方がめちゃくちゃに完成度が高いんだけど、どっちも楽しんだほうがいいね。
両方楽しむとより楽しい。相乗効果がある。


ちなみに、妻とはマンガの趣味が結構合うのだけど、頑なに読んでいないものが2作あって、そのうちの1作がぼく地球だった。

単に食わず嫌いとか少女漫画だからとか先入観とかではなく、「いまはまだ読む時期ではない」という直感を信じて読んでいなかっただけだったんだけど、まさに直感通り、今まさに読み時というタイミングで読むことができて良かった。

もう一作もきっといずれは読むときが来るのだろう。