親友の死
突然の訃報だった。
今はいい時代なので、長年会っていない友人でもTwitterを通してだいたいの動向が把握できる。
しかし、風邪をぶり返して具合が悪いというつぶやき以降、しばらく投稿が途絶えていたことも、後になってから知ったことだ。
タイムラインは非情にも、SOSを過去に流し去ってしまう。
ちょうどその頃自分は「放課後サイコロ倶楽部」というアニメを見てボードゲームにどっぷりとはまっていて、2020年春のゲームマーケットに出ようと画策していた。
地元の友人達とのテストプレイも済んでシステムも出来上がって、あとはゲムマの当選通知が来たら発注するだけ、という段になって、彼にも来てもらいたいな、と急に思いついた。
東京に住む友達は彼ぐらいしかいないし、もしスケジュールが合えば売り子をしてもらったり、そうでなくても久しぶりに顔を合わせるいいチャンスなんじゃないかと思ったのだった。
以前は自分も東京に出張が多い仕事だったのでその度に飲みに行ったり、もしくは何年か前までWFに行くついでに顔を合わせたり、最近はそのどちらもなくなっていて、しばらく顔を合わせていなかった。
だからちょうどいい、というか格好のタイミングだと思って、勝手に一人で盛り上がってワクワクしていた。
自分が作ったものを見てもらって遊んでもらえるという期待に胸を躍らせていた。
だけどまあ、まだ出展が決まるかどうか分からないし、1月末に当落が決まったら声をかけようと思っていた。
そんな矢先に彼が亡くなったことを知った。
本当は、ゲムマに出ようと思いついた時に連絡を取れば良かったのかもしれない。
そうしていれば彼の病状も、SOSも捉えられていたのかもしれない。
まさに同じタイミングで彼のことを思い出していただけに悔いが残る。
春に東京に行って彼に会おうと急に思いついたのも、虫の知らせだったのかもしれないなあ、と思ってしまって、なおのこと胸が痛い。
彼との出会いは高校生の時だ。
自分は田舎の中学校の出身で、勉強はそこそこできるけれども自分の頭で考えることを知らない、世間知らずの大馬鹿者だった。
課題があればこなすことはできるけれど、自らの意思で何をやりたいとかそういうことを、全く考えることができない人間だった。
そんな折に彼に出会って、人生の転機になるほどの衝撃を受けた。
自分と同い年で、こんなに頭が良くてカッコ良くて優しくて、三国志には詳しいしぷよぷよも麻雀も強いし、そしてなにより可愛い彼女もいて、自分が勝てる要素が全くない人間がいるという事実に、自分が立っている足元が崩れ去るくらいのショックを感じていた。
彼のような人間になりたいと真剣に思った。
それまで所属していた物理部を離れて彼の率いる新聞局に入り、自分はいつも彼のことを憧れと、劣等感がないまぜになったような眼差しで見ていた。
それから一緒に過ごした高校生活は自分の一生の中でかけがえのないものだった。
彼がいなければ手に入らなかった光り輝く思い出ばかり残っている。
自分がどうにかこうにか地元で就職先を得た頃、彼は東京で、若くして雑誌の編集長を務めるなど大活躍をしていて、そんな彼を見るのが少し眩しかった。
夢をずっと持ち続けて、大学を中退して業界に飛び込んで、そうしてついに夢を掴んで、本当に最高の人生だったと思う。
前回会ったとき、フルタイムの編集の仕事から離れて時間があると言っていたので、地元に帰ってきたらいいじゃないかと言ったことがある。
ただ、作家さん達とのつながりもあるというし、多分だけど、もう一度でかい仕事を立ち上げてやろうという野望はもっていたんじゃないかな。
だからまあ、地元で遊んでくれる人間が増えなくて残念だったけれど、いつか戻ってこいよと声をかけて別れたのが最後になってしまった。
もし彼がその時に地元に戻ってきていたら、また違った結末になっていたんじゃないかなどと、もし、もし、あの時にああしていれば、と後悔ばかりしている。
生きている間に、彼に、君に出会って良かったと伝えることができなかったことが悔やまれる。
自分が彼からもらったものは計り知れないほどあって、だけども逆に、自分が彼に与えたものが何かあったのだろうか、彼が与えてくれたものに見合ったものを、と思ってしまう。
月並みだけど、死んだら良くないよなあ。みんななるべく死なないでほしい。