HELLO WORLD見てきた

この前ガルパンの2話を見に行った時に予告編を見ていた、HELLO WORLDを見てきた。

hello-world-movie.com

全く前情報なしに見に行ったら、結構ゴリゴリのSFで良かった。

観客は結構いたけど、意味分かって見ているのか不安。天気の子とか見てアニメ映画に期待して見るんだったら、空の青さを知る人よでも見たらいいのでは、と思った。

主人公の少年は伏見稲荷で10年後の自分と出会うんだけど、タイムスリップものかと思いきや「この世界はコンピュータの中に作られた仮想現実だ」と、現実世界の自分から言われるところがぶっ飛んでる。

良かったのは少年がSFオタクで、そんなショッキングなことを言われても「グレッグ・イーガンっぽい」という反応で即座に理解するところが良い。やはりSFは正義。全人類がグレッグ・イーガンを読んでおくべき。

ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)

ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)

ただ、それ以外のところは割と荒くて雑な感じがした。

ヒロインの一行さんはクールで個性的で読書家で美人で、視聴者層的にどストライクなのがいい。

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どう考えても主人公の堅書くん的にも最高なのに、なぜかきゃるんきゃるんしている勘解由小路さんを最初に気になっているのがよくわからないし、勘解由小路さんも堅書くんに気があるのか全く無いのかよく分からないポジションなのが謎。モブっぽいと言うか、主人公以外の人間が全部NPCみたいな書かれ方で薄っぺらく感じた。

それは一行さんもそうで、古本市に祖父の形見の本を持ってきたら火事で焼けてしまったところ、現実の堅書くんは落ち込む一行さんに一生懸命話しかけて仲良くなったというんだけど、仮想現実の堅書くんはチート能力で本を再生させるという荒業を行い、その結果疲れ果てて寝てしまった堅書くんのことを一行さんが好きになる心理がわからない。

というのも一行さん側から見たら、本が焼けたと思っていたらダンボール一箱分どこかに置いていたのを、堅書くんが見つけてきた(そしてなぜか疲れている)という現象にしか見えないはず。

あまつさえ古い図書カードの一番最初の名前が自分の名前に置き換わっているのを見たら「何かがおかしい。バグってる」と思いそうなもの。

そうはならずにストンと納得してしまうのは、起こり得ないことを目にしたAIが自己修復作用で「無かったこと」として、イベントをすっ飛ばして堅書くんのことを好きになるというフラグが立ってしまったようにも見えた。

いや、ある意味でそれでいいのかもしれない。所詮はコンピュータの中に再現された疑似人格なのだから、NPCっぽいのも分からなくはないんだけど、それは「人間を書けていない」の裏返しなんじゃないのかな。


早朝や放課後に能力の特訓をして日中は彼女候補のことを追いかけるのは恋愛ゲーム(というかパワプロクンポケット)っぽくて、セカイには僕とヒロインとモブしかいなくって、いかにも2010年代のアニメという感じは否めない。

チート能力も雑だしね。SFだったらソフトメタルヴァンパイアぐらいのところを目指してほしかった。

そんな感じで色々と雑なんだけど、面白くないわけではない。一行さんはかわいいし(個人的には徐研究員の「太好了」がツボ)、京都には京都タワーがないほうがいい。

極論を言ってしまえばこの映画は、「ラスト一秒で世界が変わる」そこだけが主題であってラストシーンを見せるためだけのオマケとして本編があるだけなので、悪くはなかった。次回作に期待したい。

3DCGアニメってどうよ

今の時代こういう事を言うと老害っぽいけれど、やっぱり3DCGの質感は軽すぎて好きになれない。セルアニメだときちんと人の重みや体重移動も表現できるんだけど、モデリングされたセカイの中ではそういう概念がないから再現は難しいのかもしれない。

というか、蜜蜂と遠雷の予告編を見てびっくりしたんだけど、ピアノを弾くシーンがすごくリアルだった。

mitsubachi-enrai-movie.jp

実写だから当然リアルなんだけど、前にNHKでやってたピアノの森のアニメを思い出してしまったのだ。

ピアノのシーンがキモなのに、指先にまったく力が感じられないし勢いも重みもなくてゲンナリしていたので、蜜蜂と遠雷を見た時に、「これが打鍵だよ!!!」と強く思ったのだった。

恩田陸原作(読んでない)なので、もしかしたら見に行くかもしれない。