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下北半島一周の旅 ~健康で文化的な最高限度の生活をしよう~

旅行

さて恐山を観光し終えて旅の二日目は終わりを迎えようとしているのだが、実はここから先がクライマックスだったりするから油断がならない。今回の旅行のメインイベントは、恐山の宿坊に泊まることだったのだ。

恐山温泉宿坊吉祥閣|青森県観光情報サイト アプティネット

宿坊というのはお寺の参拝者を泊める施設のことで、お坊さんとか坊主という言葉も「宿坊」からきている。

その言葉から想起されるイメージは、寒々しく簡素な板張りの大広間に薄い布団一枚で震えながら眠り、食べるものといえば玄米混じりのご飯を欠けた茶碗に一杯と香の物の切れっ端が2、3枚。あとは薄く色づいただけの味噌汁で、汁の中にじゃがいもが浮いていると思ったら水面に自分の鼻が映っていただけだった、みたいな過酷で厳しいものなんじゃないかと恐れていたのだけど、

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この外観はなんぞ! まるで高級ホテルのごたるばい!

2002年にリニューアルされたばかりだという真新しい施設に驚きながらチェックインを済ませた。ところが、2階の客室に上がろうとするとエレベータは故障中とある。まあ、2階なので歩くのは問題ない。客室まで案内されて荷物をおいて、さてひとっ風呂浴びようかと部屋の鍵を閉めようとすると、今度は鍵が全然閉まらない。立て付けが悪いというんじゃなくて、ダメなときには微動だにしないし、うまくいくときはすんなりと開閉できるし、鍵穴が鍵を正しいものだと認識しないような雰囲気で謎。施設はピカピカで真新しいのに意外と中身はオンボロなのかな。それともこれは、霊場ゆえの怪奇現象なのだろうか。

素晴らしい温泉

屋内の大浴場は広々としていて大変気持ちがいい。サウナは無いけれど設備は清潔で、残念ながら露天風呂は小虫が出るとかで閉鎖されていたけれど(夜になると窓ガラスに無数の小虫がびっしりとはりついていたのでやむを得ない判断)、浴場の中はよく換気されていてのぼせるようなことはなかった。

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白濁しているお湯は硫黄などの成分をたっぷりと含んでいて、いかにも効能が高そうだ。だけどあまり濃すぎるため、一回の入浴は10分以内に限られている。入っては出て、休んでは入りを繰り返して濃厚なお湯の成分を堪能。ラーメンも温泉も濃厚なのが一番いい。

わりと長い時間長風呂を楽しんだはずなんだけど、他のお客さんはまったく姿を現さなかった。貸し切りか? と思ったけれどもちろんそんなことはなく、夕食の時間になってロビーに集まるとぞろぞろと集まってきた。4人組が1つと、二人連れが3組、そして一人旅が3人の合計13人、そのうち男性は7人で男女比は半々なはずなのに、せっかくの良いお湯を堪能しない人が意外と多いものだなあ、先祖のご供養をしにきたのに楽しんでなんていられないという心持ちなんだろうかと妙な感心をした。

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夕飯は見事に精進料理。見た目が御霊供膳っぽいんだよね。恐山は禅宗なんだろうか。

料理は仕出しなのかすっかり冷めてしまっているのはやるせないけれど、贅沢は言っていられない。午後6時には閉山して外界とは遮断されてしまうから小腹がすいたからと言ってちょっとコンビニまで出かけられる余地もなく、頑張ってご飯を2杯食べておいた。

外に出られないのは不便ではあるけれど悪いことばかりでない。我々宿泊客が外に出られない代わりに、一般のお客さんもこの恐山に入ってくることができないからだ。

実はこの恐山には境内の中にも温泉がある。門をくぐって本殿に至る参道の脇に男性用が一つと

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女性用が2つ、

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そして先程入った大浴場の裏側には混浴の温泉がひとつ。

昼間のうちはたくさんの参拝客が浴場の横を通るわけで、窓から覗き見るような不届き者がいないとは限らない。入山料を払った人なら誰でも入浴可能だというのもあるし、昼間は落ち着いて入れないかもしれない。部外者がいないところでゆったりと温泉を味わえるのは、宿泊者の特権なのだった(宿坊内の大浴場も宿泊者しか使えない)。

というわけで夕飯後はいそいそと宿坊を出て外の男湯『薬師の湯』に行ったのだけど、すでに先客が一名湯船に浸かっていた。急いできたつもりだったのに先を越されたかと思ってよく見たら、頭髪がなくてつるりとした頭をしている。恐山のお坊さんもこの温泉を使っているのだった。

一緒に湯船に浸かりながら、恐山での修行生活のことを聞くことができた。雪で閉ざされてしまうまでの半年間をここで過ごすそうなのだけど、一番大変なのが硫黄ガスとの戦いなのだそうだ。衣服に硫黄の匂いがつくことぐらいは序の口で。金属という金属が硫黄に侵されて、特に電子部品はあっという間にダメになるとのこと。なるほど宿坊のエレベータが故障していたのもそのせいなのだろう。靴箱や部屋の鍵も真っ黒に錆びていて、そのせいで鍵の開け閉めが難しくなっているのかもしれない。パソコンや、通いの管理人さんたちの車もすぐに故障してしまうというし、恐山という土地は人間の文明を拒否している土地なのかもしれないなあ。

内風呂と外風呂がたくさんあるけれど一番のオススメは混浴のところだそうで、混浴の風呂は大浴場と同じ源泉を使用しているけれど、大浴場の方はポンプで汲み上げているから泥などの不純物を多く含んでいる(たしかに水面に油膜のようなものが浮かんでいる)が、混浴の方は自噴したものを使っているから澄んでいてとても良いという。

カミソリで頭をツルツルに仕上げているお坊さんにお礼を言って、宿坊の周りをぐるっと遠回りして混浴の『花染の湯』へと向かった。こちらには女性の先客がいて、申し訳ないなと思いながら服を脱いで、入れ替わりで入浴した。一人旅だとこーゆー時に困るだろうな。

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湯船は中で仕切られていて、お湯が出てくる奥側は熱く、手前はぬるめになっている。確かにお坊さんが言うとおり、泉質は大浴場よりもずっといい。あちらは白く白濁していたけれど、こちらは青白く透き通っていて、不純物を一切含まない上澄みだけが静かに地表まで湧き上がってきたんだなというのが確かにわかる。

健康で文化的な最高限度の生活とは

温泉をすっかり堪能して外に出れば、そこは文明から隔絶された世界で、あたりを通る車もなく、携帯電話の電波も届かず、遠くに目をやれば夜空を背景に真っ黒な外輪山のシルエットが浮かび上がっている。

部屋に戻ればテレビもなく、インターネットも当然なく、やることと言えば部屋においてある本を読むことぐらいしか無い。

刺さる言葉: 「恐山あれこれ日記」抄 (筑摩選書)

刺さる言葉: 「恐山あれこれ日記」抄 (筑摩選書)

恐山の生活を読み進めるうちに、こうやって禅寺で生きることが、健康で文化的な最高限度の生活なのではないかと思った。朝は日の出とともに起き、油っ気のない刺激のない粗食を食べ、死とは何か、生とは何か、みたいな漠然としたことを考えて、天然の温泉に浸かって一日の疲れを洗い流して寝る生活。酒もない。間食もない。具体的なものが何もない、抽象的な生活。誰かと競い合うこともなく、自らの内面を見つめながら生きていければ、それが幸せなんじゃないのかな、と。

だからもしかしたらテレビもねえ、ラジオもねえ、クルマもそれほど走ってねえ、という暮らしは実際のところ理想郷で、あの歌は文明という禁断の実を齧ってしまったばかりに楽園から追放された若者のことを歌った、悲しい歌なのかもしれないなあ、などと考えながら深く重い眠りについた。