一人温泉

二人で温泉に行ったところで結局は一人で過ごす時間が圧倒的に長いことに気づいてしまったので、逆に割りきって一人だけで行動する時に日帰り温泉に通い始めた。にわかに温泉ブームが来ている。

温泉といっても別に遠出をするわけではなく、幸いにしてこの街は銭湯代わりに温泉が乱立している日本でも有数の温泉地帯なので、買い物帰りに温泉でひとっ風呂浴びたりだとか、他都市の人から見たら贅沢に思えるようなことも日常茶飯事だったりする。函館はいいぞ。

温泉2.0

最近のはやりはいわば温泉2.0というか、従来のイメージから新しくなった温泉が増えている。Web1.0が発信者から受信者への一方的な流れだったのに対してWeb2.0においては誰しもが発信者になることができるようになった。温泉2.0もそれと同様に、これまで温泉からお湯が流れていたものが、お客さんからもお湯が流れるようになった。いや、これは違うな。

Web 2.0 - Wikipedia

Web 2.0とは「すべての関連するデバイスに広がる、プラットフォームとしてのネットワーク」であるように、温泉 2.0とは「すべての関連する業種に広がる、プラットフォームとしての温泉」であると定義される(いま定義した)。

温泉1.0時代は温泉とはお湯があればいいというものだったけれど、温泉2.0では温泉に他業種が複合され、温泉が様々なサービスを提供する場になっている。マッサージ屋さんは定番として、食堂を併設してビールまで飲ませるようなところも増えてきた。風呂上がりのいっぱいも、温泉のあとなら格別だろう。

格安理髪店

その中でも最近目立つようになっているのが1,000円カットの店を併設するケースだ。普通の床屋が3,500円から4,000円するところを1,000円10分で刈るサービスはデフレ社会にあって急激に広がりを見せているけれど、個人的に利用したくないなと思うのは顔剃が無いところと、洗髪が無いところだ。だが温泉にあるのならば話は別で、顔剃も洗髪も洗い場でやってしまえばいいことになる。

洗髪も顔剃もやってくれる格安理髪店といえばプラージュだけど、ここは税込料金1,680円。それに比べたら温泉代金430円に散髪代1,000円を含めてもまだ安いというのは画期的で、なるほどこれは流行るわけだなあと納得してしまう(まだ利用したことはないけれど)。

サウナ

サウナは温泉2.0の必需品といってもいい。いまや老舗の温泉でも次から次にサウナが整備されており、風呂屋でサウナがないところのほうが逆に珍しいぐらいに広まっている。

だけど自分はサウナが苦手で、普及し始めたことの恩恵を全く得ることができなかった。何といっても息苦しい。吸う息が熱いのがとにかくダメで、たまに入ってもすぐにギブアップしてしまっていた。

ところがここのところ、いつか良さが分かるんじゃないかと不屈の意志で試しているうちに、不思議とサウナを楽しめるようになってきた。そして知らなかったけれどある一定の年齢になると、それまでサウナが合わなかった人間も好きになるのだそうだ。

www.gentosha.jp

はてなブロガーでスーパーニートのphaさん*1によると、37歳になったらサウナに行くべきだとのこと。

それはなんだろう、肉体的な『枯れ』のせいだろうか。それまでは体から発せられる熱とサウナの熱が拮抗して苦しかったものが、内熱の衰えによって外からの熱をすんなりと体内に受け入れられるようになってきた、ということなのかもしれない。そうじゃないかもしれない。

タオルを軽く濡らしてメガネを包んで*2、ウレタンマットを片手にサウナの中に入れば気体というよりも一種の液体のようになった熱気が体を包み、そこにはすでに何人かの先客が頭を垂れて汗を流しながらじっとうずくまっている。フィンランド人は「サウナに入るときは教会に入る気持ちで」というそうだけど、この姿勢がまるで祈りを捧げているように見えるからではないだろうか。

彼らの横に腰掛けて、自分も同じように祈る姿勢を取る。このポーズは熱さに耐えるというよりも、熱さに赦しを乞う体勢なのかもしれない。呼吸を浅くして熱さをやり過ごすようにしているとほのかに木の香りがして、そのうちに汗が全身に吹き出してくる。その際に、例えば普通僕らが汗をかく時は運動していたりするわけだけど、サウナの中では無音の中でひたすらじっとしているわけだから、全身の感覚が鋭敏になっているせいで汗が皮膚に湧く瞬間のプツプツとした感覚さえも感じられるようになる。

まあそのうちに全身汗塗れになって何もかもがどうでも良くなっていくのだけど、もう限界かなと思ったところで「あと30秒我慢しよう」と決めて心のなかでゆっくりめに数を数えて、数え終わったところでさらに「もう30秒だけ!」と再延長して、最大限まで耐える。

そうしてサウナを出た後は水風呂が醍醐味だと言うけれど、自分はまだ水風呂に浸かる勇気がない。

いつになったら僕はこの物語の主人公のように、心臓も止まりそうな冷水に首まで浸かってそれを楽しめるようになるだろうか。そうなるにはまだ、修行が足りない。

自分はいまのところ外気温で十分。というわけで露天風呂に出て椅子に座って体を冷まし、冷め過ぎたならお湯に浸かり、熱くなったら風にあたりを繰り返しているうちに軽く一時間以上たってしまう。

テレビはいらない

温泉にテレビはやめてほしい。もちろん音楽も。心をフラットにしてなんというか、内側から湧いてくるものを楽しみたいのだ。普段生きていると常にスマホがあって、情報を常に受け取っている状態になっている。裸の状態ではせめてそういう、無くても死なない無駄なものから解放されたい。

露天風呂でながまっているときに何を考えているかというと、仕事のことは考えないようにして、いや、別に考えてもいいんだけど特になにかこれというものはなく、心をひらいているといろんなことが浮かび上がってくる。やはりそのときに気になっている物事について考えることが多いのだけど、たとえば急にNO MAN'S SKYについて二次創作を書きたくなったり、いま書いている小説のことを考えたり、もちろんこのブログに書くことを考えたりもするんだけど、そんな感じで何か一つの事柄についてふわふわと漂いつつも広がっていくような、そんな感覚を手に入れたくて僕は今日もまた、温泉に通ってしまうのかもしれない。

*1:彼は自分が敬愛するはてなブロガーのうちの一人。もう一人は真空調理家で漫画家の小林銅蟲

*2:温泉でもメガネをかけて入る派