はじめてのヨーロッパ 〜ガウディとダリを訪ねて〜 Part3

初日からいろいろあったけど、宿泊したAmrey Sant Pauホテルの部屋が思った以上に立派だったことでだいぶ取り戻せたような気がした。


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広々としてお湯の出も良く、アメニティも充実している。市内中心部から少し離れているとはいえサグラダ・ファミリアまでは徒歩圏内。成田で泊まったメルキュールホテルよりも良いかもしれない。

窓を開けたらこの景色。ホテルの名前に冠されている世界遺産「サンパウ病院」が一望できる。最上階のさらに上の特別にいい部屋だったみたい。普通料金でこれは、とても運が良かった。
早起きして朝食を食べに行くと、半分以上が日本人なのでびっくりした。バイキング方式のよくあるホテルの朝食スタイルの食堂で、クロワッサンに薄いチーズとハムを挟んでいただく。結構美味しい。フルーツはメロンと夕顔の合いの子みたいのが気に入った。どれも新鮮で、素朴だけど味わい深い。
 
外は暖かいのでコートを部屋に置いていった。心のどこかで、誰かに持って行かれることを警戒したのかもしれないw
サグラダ・ファミリアまでは徒歩。通勤通学の市民が忙しそうに歩く間を縫って、朝もやのバルセロナ市内をテクテクと進んだ。

サンパウ病院はガイド付きで見学できるそうだけど、日程的に無理そうだったので今回はパス。そこを通り過ぎて道を斜めに折れてサグラダ・ファミリア通りに進むと、はるか彼方に4本の尖塔が! 来たぞ来たぞ。
 

サグラダ・ファミリア


歩むにつれて徐々に大きくなっていく異様な建築物。じっと見ているとなにか違和感がある。見上げるほどに大きいのに大きさが実感できないというか、スケール感が変だ。この不思議な感覚はなんだろう。そう思いながら近づいていった。こういうのは写真やテレビで見ているだけでは味わえない気持ちだ。

塔の高さは約100mだという。見上げながらもその大きさがよく理解できなかったけど、しばらく眺めていてその理由がなんとなく分かってきた。塔につけられた文字や飾りがものすごく大きいのだ。ハトの飾りはきっと1mくらいはあるだろう。遠くにあるのに大きく見えるため、遠近感が狂ってしまうのだ。いやはや。
Sanctus Sanctus Sanctus、「聖なる 聖なる 聖なる」と何度も立体文字で書かれているのには脱帽した。すごいセンスだ。普通の感覚でこれはできない。宗教的熱狂、神への愛のためだから、なんのてらいもなくこんなことができるのだろうか。入場する前から完全に圧倒されてしまった。
 

入場

チケットを係員に見せたら向こうに回れとのこと。生誕側は団体用? 高い高い塔を見上げながら半周する。凄い凄い。
朝9時オープンの9時10分だというのにすでに行列が。いまオフシーズンですよ? 我々は予約済みなので、行列を追い越して予約者専用の入口に向かって颯爽と入場。情強乙であります。
まずは塔に登るため、エレベータのチケットを購入。チケットには9時20分から30分までの間に乗れ!と書いてあるので受難の乗り場に向かうと、受難のファサードのエレベータは団体客用だから、生誕のファサード側に進めという。行ったり来たり〜。聖堂の中を通り過ぎて(一旦スルー)、一度外に出てから左側に乗り場があった。
 
入場の予約はhttp://www.servicaixa.com/nav/landings/en/mucho_mas/entradas_sagrada_familia/index.html?utm_campaign=SagradaFamilia&utm_source=sagradafamilia.cat&utm_medium=link&CODIUSU=P001SF10から。日本のクレジットカードだとはじかれやすいらしく、何枚かでチャレンジしてようやくゲットできた。PDFファイルを印刷して持参するべし。エレベータは予約できないので、入場してからスタッフに「リフトチケット!」と叫ぶとどうにかなるはず(海外では文法がどうこうを気にする前に単語を叫ぶのが攻略の近道)。
 

展望台


エレーベータを降りると眼下に広がるバルセロナ市内。高層建築が少ないため、はるか遠くまで見通すことができる。聞くところによれば、サグラダ・ファミリアが完成した暁には市内で一番高い建築物になるよう、最新の高層ビルも高さを抑えているとの事だった。とてもいいね!

ハト。やはりデカい。岩から生まれ出ようとしている・・・!?
下りは螺旋階段をどんどん歩いて降りることになる。これがなかなか、怖い。

手すりはあるけどちょっと緊張。途中にある撮影ポイントは絶景だけど、iphoneを落としたらと思うと怖くて撮影出来なかった。ストラップ付きのジャケット、があっても気持ち的に無理だったろうな。
 

ガウディ豆知識館?

階段を降りて、自動販売機で冷たい水を買ってほっと一息、していたらすぐ隣に「ガウディの建築物と自然との関わり」的な展示があったので覗いてみたら、これが結構面白かった。
生物は何億年もの進化の過程で、自ら力学的に優れた構造を探し出し、追求してきた。ガウディはそれを模倣し、工学へと昇華させていたのだった。彼の建築物が有機的に見えるのは単に天才のひらめきなのではなく、厳密な研究のもとに導きだされた必然なのだと分かって、激しく衝撃を受けた。
天才が天才であることに甘んじるのではなく、さらに高みを目指す行為。
神への愛が彼にそうさせたんだろうか。思い出すのは京都の神社群。伏見稲荷や下賀茂神社で感じた「人以外のために作られた」気配に似た印象をここでも受けた。
人を超えた存在を想定することで、人は、人を超えたものを創り出せるのかもしれない。
 

生誕のファサード


ガウディについて思索を巡らせた後にあらためて作品を見ると、より感動が深まった。死んだ冷たい岩から今まさに生まれ出んとする生命たち。

キリストの誕生に対する深い喜びのあまり、塔の先端に花が咲き、果実が実る。誕生への素直な喜びがそこに表現されていた。
 

受難のファサード


一方こちらの彫刻は石の鋭角さがそのままで、無味乾燥な印象を受ける。キリストの死という大いなる悲しみを受け、すべての生きとし生けるものが苦痛を感じ、石から生まれたものが再び石に戻ってしまった様子なのだと感じた。
 

聖堂


石の柱はスカートのように柔らかく表現されており、張り巡らされた枝は光を放ち、天井には花が咲いている。直線で作られた曲線。触ると冷たいのに、受ける印象は暖かい。教会の冷徹なイメージを根底から覆えす、有機的で暖かな空間。

石で作られているのに生命を感じるのは、この場所があふれんばかりの光に満ちているからでもあるのだろう。
未だかつてこのようなステンドグラスを僕は見たことがなかった。通常のステンドグラスは、いわば不自由な絵である。ガラスを使うことで限られた表現しかできないもの、お飾りの一種であると思っていた。これまでは。そんな常識をくつがえすような光の波。赤から青へ、明から暗へ、光線を分解する一枚のプリズム。
美しさにしばらくの間、ここから離れることができなかった。
 

博物館


地下に博物館があることに気づかないでうっかり帰るところだった。感動が多すぎて頭がもうクラクラだ。
ここではガウディの弟子たちが、今もサグラダ・ファミリアの設計を続けている。ミニチュアを作成し、それを元に実物を作るという手法は、ガウディが存命だった頃と同じ手法だ。今ではCADや3Dプリンタなどの最新技術が使われているけれど、それもある意味でガウディの予定通りだったことを知った。

帰国してからNHKの「シリーズ世界遺産」で見たのだけど、彼が72歳のとき、自分が生きている間には完成は到底望めないと思い、建築に幾何学を取り入れたのだという。生物の姿を単に有機的に取り入れるのではなく、それらの複雑な姿を解析し、微分し、計算で求められるようにした。その結果、内戦で彼の残した設計図の多くは失われても、建築を続けることができ、現代の最新技術を取り入れることができたのだった。
 
ここにはガウディの遺体も収められている。自分の最高傑作の中で、そしてローマ法王が訪れて大聖堂に指定した建物の中で眠ることは、熱心なクリスチャンだった彼にとって望外の喜びなのかもしれない。たとえ道半ばにして亡くなったとしても、今も彼はサグラダ・ファミリアが出来上がっていくのを見つめていられるのだから。
 

おみやげ

おみやげタイム! サグラダ・ファミリアが入ったスノードーム超欲しい! これを職場へのおみやげにして嫌がられたい! と思ったけどもそこは自重(笑)
自分用に魔方陣ピンバッジ(受難のファサードに描かれている)と、グエル公園のモザイクトカゲマグネットを購入。
 

感想

サグラダ・ファミリアを出て、公園のベンチに座ってサンドイッチで昼食をとった。池のまわりの桜には、もう花が咲いている。池の向こうにはサグラダ・ファミリアがそびえ立っている。
あっという間の3時間だった。感動と衝撃でまだ頭がクラクラする。
「写真で見るだけではわからない」という言葉の意味を、これほどまでに実感した日も無かった。見て触れて感じて、そのことに思いを馳せてまた感じて。どんなに映像技術が進歩しても、今日のような感動を得ることは叶わないだろう。この3時間のためにはるばる15時間かけてスペインまでやってきた価値もあるというものだ。
 
だがしかし! 旅はここで終わったわけではないのだ。午後からはさらにガウディ尽くし。天才の骨の髄までしゃぶり尽くしてやるぜ!