読むべきタイミング

ほかにやるべき事もあろうに、暇さえあれば本だけ読んでます。身の回りに考えてもしょうがないことが多すぎるのかもしれない。現実逃避の方法としては健全だからいいんだけどね。
 

大人の友情


河合隼雄って面白いね〜って言ったら「今さら!?」って驚かれた。いやまあそうなんですけど。
異性間の友情は成立するか?のあたりがかなりの読みどころ。

国境の南、太陽の西


村上春樹の小説は『国境の南、太陽の西』を読んで以来読まなくなっていた。10代の頃はかなり傾倒していたんだけど、自分の好きなジャンルが『羊をめぐる冒険』のような不思議な雰囲気があるものだった。それがちょっとおしゃれ臭ただよう雰囲気に作風が変わってしまったことはちょっとしたショックで、さらにその頃は本を買う少年だったので、少ない小遣いをひねり出して買ったものが自分と合わないことに軽く裏切られた気持ちになっていた。次に出た『スプートニクの恋人』もチラリと読んで相容れないような気がしたので、それからというもの村上春樹に対しては「敬して遠ざく」という態度をとってきた。「ああ、おもしろいよね。でも最近は読んでないんだ」というような。
ところが、自分が村上春樹から遠ざかるきっかけとなったこの本を10年ぶりに読み返してみると、一語一句が身体のなかにしみこんでいくような感覚を覚えるぐらいにしっくりときた。多分当時は読むべきタイミングでは無かったんだろう。自分がどんなものを喪ってきたのかということに無自覚なままではこの作品の良さと言うか深みは感じ取れないのだろうな。
川上未映子の『ヘヴン』もすごく良い話だと思ったけれど、コジマが二度と主人公の前に現れないという結末では片手落ちかもしれない。
 
最後は主人公が救われて終わるという良い感じ(というか都合のいい)結末だったんだけど、でもこれって島本さんが煙のように消えてしまったから良かったんだよな。もし消えないで残っていたらどういうことになっていただろう。普通の人は消えるようにいなくなったりしないからねえ。
 

日本語ということば


日本語にかかわるエッセイを集めていて、丸谷才一や高橋治などの名文が並んでいて読み応えがあった。
でもどんな名文家たちの文章よりも感動したのがトリをつとめた「『あまえる』ということについて」という、小学校2年生の女子が書いたセロ弾きのゴーシュの読書感想文だった。自分が8歳の時にここまでしっかりとした自分のおかれた状態について内省したことがあっただろうかと思うと愕然とする。今の自分の精神年齢がこの子と同じくらいなんじゃないだろうか、とか。
 
はてな年間100冊読書クラブ 277/303)
 
私はうなぎです。