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NHKスペシャル|ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜 その2

日常

だいたい番組コンセプトは見えてきたのだけど、せっかくだから最後まで見よう。
 

賃金競争の果てに

景気の回復が著しい東海地方にあって、繊維産業が盛んだった岐阜県は大変だ、とのこと。
でもさ、技術レベルが低い産業が廃るのは、今に始まったことじゃない。中世の鎧職人は、鉄砲が普及したせいで職を失っただろう。馬車を作っていた人たちも、自動車の登場で大変だっただろう。でもそれは、「格差社会」のせいなの? 技術革新についていけなかっただけでしょ?
 
もっと身近な例でもいい。「昔ながらの味」を自称して何十年も同じ作り方をしてきたラーメン屋があったとする。その近所に常日頃から研究をして、もっと美味しく、もっと安くラーメンを提供できるように努力しているラーメン店ができた。当然周りの人は新しくできたラーメン屋に行くことだろう。ところが前の店主は「ワーキングプアだ!」と言うわけだ。「今までよりももっと努力しろというのか!」と。
 
変わらないことは、変わっていること。
常に流れる時代の中で、変わらないポジションを確保するためには、常に変化していかなければならない。新しい知識、新しい技術。これまで何千年ものあいだ人類はそうして生きてきた。何も変化しなければ、時代の中で取り残されていく。この人たちって、社会の授業をなんにも聞いてなかったんだろう。
 

生活保護をもっと柔軟に与えなければならない
今救わなければならないのは、若年層のワーキングプア
このままでは日本は、貧困者が多数派になる

 
これらの言葉を聞いて感じるのは、「今の日本には、中国からの留学生に劣る若者がごろごろ存在している」という危機感だ。働かず、人に頼っていればなんとかなると思っている連中が、どんどん、どんどん増えている。勉強さえもできない、口ばっかり大きくて欲だらけの人間が多数派を占めるようになるんだろう。
まあ確かに、努力しなかったせいでロクでもない生き方をしている人間に対して「かわいそうだ! なんとかしてやらなきゃ!」って訴えてる番組を見ていれば、「ああ、自分も努力しないで大丈夫なんだな」って思いますよね。貧困の拡大再生産です。
 
 

働き続ける高齢者

あ〜、出たよ超勘違い。
え、と、うちの祖父母は農家なんだけど、っていうか親戚みんな農家だけど、別に定年とかなく80歳でも働いてるぜ。それが”貧困”だといいたいわけですか。天下のNHK様に勤務しておられるかたがたからすれば、多額の年金にくるまってぬくぬく暮らす以外の生き方は全て下層に思われるのでしょう。
うちのばあさんなんて足が不自由だし、年金があるんだから働かなくても食べていけるだろって、思う。でも、春になると体がうずいてしょうがないんだそうだ。毎日畑に出て、杖はつけないから、はいつくばって草むしりをしている。そんな大変な思いをしなくても、と思うけど、畑いっぱいに実ったささぎを見て、すごくいい顔をして笑うんだ。ビニールハウスいっぱいに広がるトマトのにおいを嗅ぐのが、一番好きなんだそうだ。
苦しいけど働いているんじゃない。好きだから、うれしいから働いているんだ。労働=苦痛だなんて誰が決めた?
 
人間というのは嫌なことは絶対にできないようになっている。絶対に。絶対にできない。断言しよう。人間はそれほど非合理的な存在ではない。
 
そんなことは無いよ。嫌だけどこの仕事に就くしかなかったんだ、と言うかもしれない。嫌だけど従ったんだ。嫌だけどそうするしかなかったんだ、と。
 
でも本当は、その言葉の中には隠れている言葉がある。
嫌だけど「もっと嫌なことがあったから」そうしたんだ。
 
AとBという選択肢があった。Aは魅力的だけどそれを手に入れるのは努力が必要だ。だから嫌だけどBにした。これが正しい文章。努力にあたるものはいろいろある。勉強だったり、ゲームをやらないことだったり、親を説得したり、学費を稼ぐためにバイトをすることだったり。
トータルとしてプラスだと判断したから、自分が判断したからBを選んだのだ。嫌だけど、仕方なく。もっと嫌なことをしたくないから。自分でそれを選んだ。
 
街を歩くと、だらしない格好で繁華街をうろついている学生もいれば、図書館で真剣に勉強をしている学生もいる。朝からパチンコ屋にならんでいる若者もいれば、夜遅くに一人で店の掃除をする、美容師見習いらしき若者もいる。みんな好きでやっている。好きで努力したり、好きでさぼったり。
 
プアな人が今プアなのは、自分でそうなることを選んだから。他に理由なんて無い。
 
 

奪われていく子どもの未来

これは悲惨だ。子供に罪は無い。
 
話はそれるが、僕は、子供と宗教は分離させるべきだと思っている。
オウム真理教の信者の子供が学校に行かせてもらえず、施設の中でオウムの教えを洗脳されていたという事件があった。キリスト教系の信者の人が、子供を連れて勧誘に来たことがあった。創価学会の家に生まれた子供たちが、小さいころから宗教漬けにされているという話を聞いた。
判断力の無い子供と、判断力を奪う宗教が結びつくのは、悲劇以外の何者でもない。
 
同様に、子供と貧困も切り離すべきだ。貧困層を子育ての負担から切り離すべきなのだ。番組でもあったが、朝から晩までバイトしている父親をみて、努力なんてしても無駄だと思った息子が「弁護士になろうと思ってたけど、無理っぽいから諦める」といって漫画を読んでいた。こんな最悪の環境が他にあるだろうか。
収入が一定水準を下回る家庭は、親権を剥奪しても良いのではないだろうか。「お前がいるせいで生活が苦しい」「お前を養うためにこんな苦労をしている」そんな呪詛を毎日浴び続けなければならない子供の、なんと悲惨なことだろうか。
それよりも親元から離して欧米の寄宿学校のような施設に用意し、しっかりとした教育を与えて成人させることのほうが、どれだけ幸せだろうか。親は養育の負担から開放され、子は将来にむけて輝かしい未来が確保され、優秀な労働者が生み出されることで国も潤う。三方一両得なのだ。
 
とまれ、中間搾取できなくなる方向に有権者である親が賛成するはずもないだろうし、現実的には子育て支援の名目のお金ででパチンコ屋が儲かる結果に終わるのだろうが。
 
 

まとめ

偽善っていいですよね。無責任で。
大変じゃん、助けてあげなきゃダメじゃん、って言うのは誰でもできる。そう言っている自分に酔うこともできる。でも助けるのは他人まかせ。とっても無責任だ。だから楽だ。
 
今回の番組を通じてワーキングプアという問題が、お金も出さず行動もせず、しかも自分がいい人だと思えるような、新しい時代のメロドラマなんだなと理解することができた。「大変な人たちもいるね。でも僕らは幸せでよかったね」と、視聴者を喜ばせる装置なんだな、と。
何の解決策も提示されない。かわいそうな彼らを減らすするために、あなたがたはこうするべきです、という指針は(もちろん)無い。国が何とかするべきだ、そうですね、で終わり。もう笑うしかない。
 
しかしながら、改めて努力することの大事さを確認することができてよかった。まだまだこの国は、努力すれば報われるようだ。努力したものが馬鹿をみるような世の中になった時が、この国が本当に終わりを迎える時なのだろう。