恋とストーカーと その2

昨日の日記にはトラバを頂いたので、自分の考えをもう少し整理してみる。
 

なぜこのような事件が起こったのか?鯨は4つの理由があると考える。まずは小中高大までの教育機関が中原哲也という人間について理解してあげられなかったこと。周囲の人間が彼を理解してあげられなかったこと。中原容疑者が自分自身を理解していなかったこと。そしてもし無量林さんが中原容疑者を本当に優しく労わってあげたとしたら、もしくは自分から話しかけたとしたら、彼女がその優しさの責任を最後までとらなかったこと。
 そしてこれだけは確実に言える。共同体が中原哲也という人間を見捨て、それゆえに無量林さんが殺害されたのだ。
 
函館女性刺殺事件 | OKULO

 
う〜ん。そこまで加害者に肩入れするつもりもないんだけど。世の中に優しさを求めちゃうとこの問題の本質が失われちゃう気がする。
恋愛なんて結局は個人のものなんだし、そういう意味では朋輩ヤマダシモンの意見の方が自分の気持ちに近い。
 

まぁ、男も女も、そしてそれをとりまくコミュニティ自体にも、精神的な余裕・寛容さがなくなってきているってことなんだろう。もちろん、ストーカー行為を許す寛容さではなく、ストーカーなんてものをしなくてもコミュニケーションが取れるという余裕という意味ね。
 
http://www.tsuki-kage.info/2007/11/28/hakodate_murder/

 
精神的な余裕が減少しているのを現すのが、「キモい」という言葉の流行だと思うのですよ。これを口にすることで、相手との関係を一方的に遮断するというか、その瞬間に相手よりものすごく高い立場に立てるんですよね。相手を貶めることで自分の精神的優位さをキープするという、そういうスキームが一般的になりつつある。なぜなら、そうすることで相手は下手に出てこざるを得なくなるから。で、こういう戦略が広まってしまうと、それを採らないと損になるということでネコも杓子も「キモい戦略」を使うようになるのです。
 
と、良く考えるとこれは『囚人のジレンマ』だ。おおお。
 
ゲーム理論では「しっぺ返し戦略」の方が利得が多いとされていますが、「キモい戦略」つまり、常に裏切りを選択するプレイヤーが多数を占める場合にはその前提が成り立たなくなってしまうのです。
「キモい戦略」を用いることで「キモい戦略」を使うプレイヤーが増え、その結果「キモい戦略」がもっとも有効なフィールドが生まれてしまったと、こういうわけです。国民の選択がこの殺伐とした日本を作った、こういうことです。
 
また、ゲーム理論ではゲームの回数が有限なら裏切り路線が、無限なら協調路線が正しいとされています。現実の世界はゲームの回数が何度目で終わるのかは分かりません。そのため本来なら協調路線をとることが正しいのですが、今回のように相手を殺すことでゲームを終わらせることをプレイヤーが決定したなら、加害者の行為はむしろ効率的なのです。
現実世界においては"裏切り"という選択肢が、必ずしも合法的な手段に限定されていないと言うことを見落とした結果が、今回の事件を生んだのではないかと考えました。
 
(多分続く)