集中か分散か

なぜ僕が持ち家が嫌いか、というと金がかかるとかリスクが多いとか、そういう理由は二の次で、現象として「個人が家を建てる」ということが許せないからだ。ちょっと言い過ぎ。正確には「都市に家を建てる」こと。持ち家は都市の価値を薄めてしまうのだ。それが許せない。
 
函館を見てみよう。街の中心部でも平気で一軒家が建っている。30年、40年前の家屋が平気で傾いている。中心部の人口密度を低めている。その結果として街が寂れている。
一方パリは(急に話が飛ぶが)16世紀頃から高層のアパルトマンがひしめき合う都市だったそうな。高度経済成長期の日本を訪れた外国人が「ウサギ小屋」と評した日本の住宅は、実際は花の都と同じだったのである。それもそのはず、東京を見ても、大阪を見ても、大都市はみな空が狭い。人口密度の高さ=力なのだ。住宅こそが日本の経済発展の基礎だ、と僕は考えている。
一軒家を建てて街を郊外化すれば、郊外型のショッピングセンターが繁栄するのは当然のこと。道路を整備して、一軒家を建てさせて、この国は公共投資とゼネコンによって骨抜きにされたといっていい。そういう意味で僕は持ち家が嫌いなのだ。
 
 
とはいえ、自分個人で言えば一転集中とは遠いところにある。趣味も多いし(長続きしないけど)、投資先だって外国為替を筆頭に、投資信託、株、現預金と分散を心がけている。どれかが転んでも大怪我をしないようにということで選択肢を多く持っているのだが、これを組織と比べてみると面白い。いろんなことに手を出す会社は大抵潰れてしまう。組織・自治体は一転集中の方が良いが、個人は分散した方がよいという結論にならないだろうか。
それは組織と個人のリスク許容度を表しているといっても良い。組織は失敗してもやり直しが効くが、個人ではそうはいかないので、失敗してもいいように分散を心がける。そういう意味ではリスクが高いから年収の十倍以上もする買い物をしてはいけない、という結論に繋がりそうだが、そうなると話が最初に戻ってしまうのでやめておこう。