寄付をすることについて

ユニセフからの領収書が届いた。
去年はほかにWWFに5,000円寄付をした。合わせてだいたい去年の投資収入の5%くらい。
投資を行うにあたって、「利益の一部を寄付にまわす」というルールがある。やらないからといって参加資格がなくなるわけじゃないし、別に強制でもなんでもないんだけど自分としてはこれは鉄則だと思っている。寄付を行う理由はいろいろあるんだけども、失うお金に比べて得ることの出来るものは大きい。やる前はすごく迷ったけど、今では「今年は去年より利益に対する寄付の比率を高めよう」と前向きに思えるようになった。
投資から利益を得ることって、投資家以外の人は不当な利益だと思うわけですよ。あいつはズルいやり方で金を稼いでやがる、という負のオーラを感じることがよくある。いつか大損するぞ、いつか痛い目に遭うぞ、そういう言葉はもはや「呪い」となって、こちらのエネルギーを奪い取っていくわけです。相場を見ると不安になる。損をするのが怖くなる。損をしたら笑われる。「ああやっぱりあいつは損をした。ざまあみろ。そんなことをしない俺たちはなんて賢いんだ。やっぱりコツコツ働くのが一番だ」 浴びせられる嘲笑のことを思うと、苦労して相場と戦うことを選ぶよりもなにもしない方が楽なんじゃないか、正しいんじゃないかと思ってしまう。自分が弱っていくのが分かる。
そういうときに寄付のことを考えると、「ああ、投資を続けていいんだ」と思うことができるのだ。ただ利己的に儲けを求めるんじゃなくて、自分が利益を得ることで、自分以外の誰かが助かってくれる。誰かが僕の援助を受けることによって助かってくれるという事実が免罪符となって僕を助けてくれる。ユニセフの2004年度の収支を見ると、総収入184億円のうち、寄付金収入はたったの1045万円しかない*1。もし自分が投資で一億円稼いだとしたら、ほぼ同額を寄付することになるわけで、なんかそう考えることですごく気持ちが楽になる。無償ですることが、お金じゃ買えないものを与えてくれる、言わば「タダより高いものは無い」の逆パターン。いっぱい稼いで、いっぱい寄付をしようという思いが、涼やかな感情とともに思うことが出来る。僕をあざけ笑う人間には決して出来ないことがいつか僕には出来るんだ、だから投資を続けたい、という気持ちが「呪い」を振り払ってくれるような気がする。
こんな露悪的な理由だけが寄付をする全ての理由じゃないけれど、なんか最近とみにこういうことを考えるようになった。長くなったのでその理由はまた明日。

*1:ほとんどが募金収入とグリーティングカード収入でまかなわれている